私は昭和十七年、太平洋戦争の真っ只中に生まれた。
物心ついた時は戦後の混乱期で、ともかく食べ物がなかった。特に甘いものは極端に不足気味で、いつもがつがつ口に入るものなら何でも食べた。それが平均的日本人だったのである。わずかばかりの畑を一生懸命耕し、サトウキビを育て、絞って貴重な砂糖を作り、「カルメ焼き」を食べさせてくれた。小さな銅鍋に焦げ茶色の液体を入れ、掻き混ぜ頃合いを見計らって白い粉を入れると途端にぷ~っと膨らみ円盤状の菓子が出来上がる。甘いような苦いようなものだったが、このときの味は今でも思い出され、父の姿が目に浮かぶ。田舎の百姓生まれでいつも黙々と仕事をしていたが、溢れるばかりの親の愛情を感じる。戦後六十数年を経て時代は大きく変化した。今や食べ物はいたるところに溢れ、たやすく手に入るようになったが、ここで人間にとって食べ物の意味とは何かを、改めて考えてみる必要があるのではないかと思うのである。
|