指導者五つの資質
 

 私も瑞龍寺にきて三十二年になる。師家として雲水の指導に携わってきたのだが、それは葛藤の日々であった。振り返れば初期の頃は随分思慮が足らなかったと反省している。指導者として未熟だったと言うことである。多くの失敗を重ね、痛い思いもし、三十年を過ぎて漸く師家らしいことが出来るようになった。いままで乍入叢林の若い雲水がすくすくと育ってこなかったのは、一重に私自身の責任だったと深く反省している。誰でも未熟なところからだんだん習熟していくわけで、最初は仕方のないことと言えなくもないが、その時期に居合わせた者からすれば、それでは済まされない。師家と雲水は日々室内で公案を通して法戦をする。法の上での戦いである。いわば将軍と兵士の関係に似ている。そこで私が愛読するローマ人の物語の執筆者、塩野七生氏がユリウス・カエサルから学ぶ指導者に求められる五つの資質について書いているので、それを引用させていただく。

 それは「知力」・「説得力」・「肉体上の耐久力」・「自己制御の能力」・「持続する意思」である。まず知力であるが、想定内であれば特別の才能は必要ではない。想定外だからこそ求められるのが知力である。だから想定外でしたと言うのでは答えにならない。想定外だったが、これからは何をどう進めて行く、でなければ答えではないのだ。政治家であると同時に軍人でもあったカエサルの相手は敵だけではなく、味方の兵士たちであった。敵が想定外の行動に出てくるのは当たり前にしても、味方もやる気がありすぎた結果、しばしば想定外の行動に出る。そのようなとき、無理に想定内にしようとせず、かえってその動きに乗った。現場でわき上がる力を活用するやり方を取ったのである。田中美知太郎先生によれば、人間洞察に優れていたカエサルは、現場でわき上がるパワーを活用するにも、悲愴な面持ちで「頑張ります」と言ったり、涙で目が潤んだりしたのでは従いてくる者達を奮い立たせる力にはならないことを知っていた。彼は「ルビコン」を渡るとき、兵士達に向かってこう訴えた。「オレを男にしてくれ」。これが効いたのである。必死でもなくオレに従いてこいでもなかったところが知力なのである。
 次ぎに説得力である。自分と同じ考えの人々に向かって説明するのなら説得力とは呼ばない。考えの違う人や疑っている人を説得してこそ、説得力になる。「ガリヤ戦記」「内乱記」、これは冬期の休戦中、陣営内での記者会見だが、彼の論法は日本人にも馴染み深い起承転結なのである。「起」で人々の注意を喚起し、「承」では箇条書きにして簡潔に整理し、「転」では想定される展開を述べ、「結」ではその結果はこうだとして終わる。ところがカエサルほどの男でも想定外には無縁ではなく、翌年の戦闘では前回の見通しの修正をすることもある。その場合にこそ説得力は発揮され、既に手は打ちその結果はこうこうで終わると言う。相手はもう黙るしかない。
 次ぎに肉体上の耐久力である。やると決めたことはやり遂げるに必要な期間を耐えていける肉体力である。気力とて体力に支えられてこそ維持できる。修行の世界でも。色身あっての法身と言う言葉がある。いくら気力旺盛やる気満々でも、体が元気溌剌としていなければ、強い心を維持できないのだ。健全なる身体に健全なる精神は宿るのである。
 次ぎに自己制御能力である。地位が上がり権威や権力を持てば持つほど、自由が制限される。一私人なら怒りを爆発させ叱りつけてもそれだけで済むが、地位や権力を持った者が同じように振る舞った場合はそれでは済まない。カエサルは怒らない権力者だった。何故怒らなかったのだろうかと考えた結論は、自分の絶対的な優越性を確信していたからである。怒りとは怒らなければならないほど人のところにまで降りていって、その人に向かって爆発させる感情である。降りて行くことでその人と対等な立場に自分が立つことを拒否したのである。その結果不満があっても怒らない。それどころか、エラーをする者も居るのだが、そのときも若いために焦った結果だとして部下を救っている。明確な目的を示した後は、一任するリーダーであった。私が就いた師匠は何かと言えばすぐ怒鳴ったりぶん殴ったりした。叱られるのでも然るべき理由があるときは納得したが、そうでないときは不満がくすぶり、心を寄せていたものが離れて行くような気分になった。結果これでは師匠も弟子も双方浮かばれぬことになる。

 次ぎに持続する意思である。非常時とは想定外のことが後から後から襲ってくる時期のことである。その奔流の中にいながらそれに流されないためには、何が最も重要な課題かを、常に忘れないでいることである。継続は力なりと言うが、ダラダラと続けているだけでは力にならない。本筋をきちんと押さえ、その線から絶対に外れないようにしながら続けていくからこそ、継続も力になるのである。長期戦を戦い抜くには、ときに緊張をゆるめることも必要となる。この緩急よろしきを得る兼ね合いは、年限を積み重ねてこそ身に付くのである。

 

 

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