私も瑞龍寺にきて三十二年になる。師家として雲水の指導に携わってきたのだが、それは葛藤の日々であった。振り返れば初期の頃は随分思慮が足らなかったと反省している。指導者として未熟だったと言うことである。多くの失敗を重ね、痛い思いもし、三十年を過ぎて漸く師家らしいことが出来るようになった。いままで乍入叢林の若い雲水がすくすくと育ってこなかったのは、一重に私自身の責任だったと深く反省している。誰でも未熟なところからだんだん習熟していくわけで、最初は仕方のないことと言えなくもないが、その時期に居合わせた者からすれば、それでは済まされない。師家と雲水は日々室内で公案を通して法戦をする。法の上での戦いである。いわば将軍と兵士の関係に似ている。そこで私が愛読するローマ人の物語の執筆者、塩野七生氏がユリウス・カエサルから学ぶ指導者に求められる五つの資質について書いているので、それを引用させていただく。
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