宗教の姿
 

 塩野七生氏の文章を引用させていただく。『ルネサンスとは、疑いから始まった精神運動である。一千年もの間キリスト教の教えに忠実に生きてきたのになぜ人間性は改善されなかったのか、という疑問をいだいている人々が、ならばキリストが存在しなかった古代の人は何を信じて生きてきたのか、と考え始めたことから起こった運動である。だからこそ、古代復興がルネサンスの最初の旗印になった。そうなれば関心は古代に向かうのも自然な流れである。ヨーロッパの学者たちの著作を読んでいるうちに、キリスト教がなかった古代を専門に研究しているにもかかわらず、論調にヘソの緒が切れていないという感じを持つ。彼らはどうあがこうと、キリスト教徒なのだ。このヘソの緒が切れていない学者たちの古代研究を勉強しながら、そこにある隙間が気になって仕方がない。私は日本式八百よろずだが、これが多神教だった古代ローマへの接近の第一歩になった。こっちにはヘソの緒自体がないのだから、切れたも切れないもない。我が国で数多く出版されてきたヨーロッパの翻訳文化とは、ヘソの緒が切れていない欧米人の著作を、もともとからヘソの緒のない日本人に向かって伝達してきたということになる。

 ヘソの緒などという言い方をすると、へんに思われるかも知れないが、これは意外と重要なのである。例えばへその緒が切れていない人に、キリストの教えが人々に救いをもたらすほどすばらしいものならば、なぜそれが帝国中に広まるまでに、イエスの死から三百年もの歳月を要したのか。これにはローマ皇帝たちの迫害があったからだと言うだろうが、しかしネロ帝から始まったとしても散発的で、徹底した迫害が行われたのは、イエスが十字架にかけられた時代から三百年近くが過ぎたころの四,五年である。これはキリスト教徒の学者たちも認めているところだから、なぜ三百年も要したのかの問いに答えていない。
 それに反してヘソの緒からしてない私の考えは、三百年の間ローマ人には、キリスト教が必要でなかったのだ。ローマの神々は自ら努力する人のかたわらにあって、それを助ける守護神であった。一方、キリスト教の神は、こう生きよ、と命ずる神である。そんじょそこらの神ではなく、唯一無二の最高神なのである。イエスは死んでもその後の三百年、政治も軍事も経済も機能していた帝国に住んでいたローマ人は、生き方まで命ずる神は必要ではなかったのである。それが機能しなくなったとき、必要とするように変わる。自信を失ったローマ人は、強力な存在にすがりたい、それを信ずることで救われたい、と思うようになった。多神教の古代が終わって中世に移ったら、そこはもはや多神教ではなく、一神教の世界である。神となれば最高神だから、他の宗教の最高神とは敵対関係になる。ゆえに中世は、キリスト教とイスラム教が激突する世界になった。
 宗教は人間が自信を失った時代に肥大化する。宗教が人々を助け救うという本来の姿であり続けるべきだと思うなら、政治でも経済でも軍事でも機能していなければならないから、これらの俗字を馬鹿にしてはならない。』
 以前、知人で長らくアメリカで禅の指導をされている方と話したことがある。彼は半世紀も前、単身ニューヨークへ乗り込んで、孤立無援のところから一人二人と禅の指導を続け、ついにはニューヨーク市内中心部のビルの、地下・一階・二階の三フロアーを取得するまでになった。そこを拠点にして一度に百数十人ものニューヨーカーが毎晩坐禅を組み、彼の話を聞きに集まる。会費制になっていて、入り口でお金を払い坐禅を組む。今やニューヨークの名物になっているそうだ。そこを拠点にして活動するうち、だんだん評判が広がり、やがて有力な信者を得た。その人の支援でニューヨーク郊外の山奥に広大な敷地を確保、本格的な日本式禅堂を建立した。そこでは一週間単位で宿泊し、日本の僧堂に似たような規則に従って、より本格的な修行のシステムを作った。中には二十年三十年の長きに渡って逗留し、修行を積む者まで出てきた。

こうなると二,三年もするとさっさと帰ってしまう日本の僧堂の雲水より、余程うわてをいっている。どちらが本家なのか解らなくなる。ところが長年指導を続けてきて解ったことがあるという。キリスト教社会で育った人間は、禅をより深く理解すればするほど、行き詰まり感が出てきて、ついには禅を投げ出し、結局去って行ってしまうと言うのである。ここを乗り越えさせるために言葉の限りを尽くして説いたが無理だと悟ったそうだ。彼らにとってイエスは絶対最高神であり、塩野七生氏の言う通り、金輪際ヘソの緒は切れないのである。つまりヘソの緒の切れないまま、無に参じたゆえに、深く無の境地に到達すればするほど、キリスト教に改めて目覚め、自分の本当の姿を見届けることになるというのである。この矛盾、理屈ではない。昔彼からこの話を聞いたときは、単純にへ~そんなもんですかと思っただけだったが、これは実に深い問題なのだ解った。

 

 

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