塩野七生氏の文章を引用させていただく。『ルネサンスとは、疑いから始まった精神運動である。一千年もの間キリスト教の教えに忠実に生きてきたのになぜ人間性は改善されなかったのか、という疑問をいだいている人々が、ならばキリストが存在しなかった古代の人は何を信じて生きてきたのか、と考え始めたことから起こった運動である。だからこそ、古代復興がルネサンスの最初の旗印になった。そうなれば関心は古代に向かうのも自然な流れである。ヨーロッパの学者たちの著作を読んでいるうちに、キリスト教がなかった古代を専門に研究しているにもかかわらず、論調にヘソの緒が切れていないという感じを持つ。彼らはどうあがこうと、キリスト教徒なのだ。このヘソの緒が切れていない学者たちの古代研究を勉強しながら、そこにある隙間が気になって仕方がない。私は日本式八百よろずだが、これが多神教だった古代ローマへの接近の第一歩になった。こっちにはヘソの緒自体がないのだから、切れたも切れないもない。我が国で数多く出版されてきたヨーロッパの翻訳文化とは、ヘソの緒が切れていない欧米人の著作を、もともとからヘソの緒のない日本人に向かって伝達してきたということになる。
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