歴史に学ぶ
 

 文藝春秋の連載「三国志」宮城谷昌光著が構想十年、連載十二年、畢生の大作が完結し、完成記念のロングインタビューが七月号に掲載された。私も二十代の頃この大作を読破したことがあるが、さてそれで内容はどうでしたかと問われると、やたら壮大で多岐にわたるドラマで、何とも表現のしようがないと言うのが実感である。そこで著者のインタビューを通して、三国志が現代社会に問いかけるものと言う視点で幾つか取り上げてみたい。三国志は後漢末から三国時代にかけての約百年間、漢から魏、蜀、呉へ、そして晋へと移り変わる時代の物語である。その間権力保持者は頻繁に入れ替わり、群雄割拠し、人間関係もめまぐるしく変転を続ける。その複雑さこそが三国志の魅力であり、後漢王朝の混迷の中、曹操や劉備のように、昨日まで無名の人物が、気が付くと天下の情勢を左右する存在となり、一方昨日の英雄が明日には時代遅れの守旧派として時代に埋没していく。そんな真実の細やかなひだが、鮮やかに浮かび上がってくるところが、この物語の最大の魅力である。

 ではこの混迷の時代に生きた人々は、何をより所として生きていたのだろうか。それは「歴史」である。特に読まれた書物は「春秋左氏伝」で、これは「春秋」という歴史書の注釈書なのだが、歴史上の人物の行為や心理、その運命が物語のように面白く書かれている。曹操をはじめとして多くの人々に熱心に読まれた。なぜか、それは難しい時代を生きる指標を求めていたからである。彼らの時代は信(しん)憑(ぴよう)する権威が崩壊し、王朝は衰え、権力闘争が絶えず、地方の反乱も相次ぐなか、国土も荒廃した。状況はめまぐるしく変わってゆく。嘗ての儒教的な理念や倫理ではとても対処できず、他者を説得する力を持たなくなった。何が正義で、何が悪行なのかすら、判然としなくなった。そこで歴史に、みずからの出処進退の基準を求めた。春秋左氏伝には壮絶な権力闘争や、軍事、政略の成功と失敗など、豊富で具体的な実例が書かれている。それを頼りにするしかなかったのである。
 例えば曹操にしても、さしたる名声がないばかりか、宦官の孫として軽蔑されていた。軍事面でも光っていたわけでもなく、最初董卓軍との戦いでも惨敗を喫した。そんな曹操がどのようにして人望を高め、兵法に長ずるようになったのか、その秘密は「持たざる人」であったからである。常に書物を離さず、昼は武事の策を講じ、夜は経書とその伝に思いをめぐらし、詩を作りこれに管弦をつけた。このように曹操の知識欲旺盛で学問好きは、世の中に皆が言っていることが常に正しいわけではないことを、身をもって知っていたからである。とくに人材発掘には熱心で、「ただ才のみこれ挙げよ」として、門閥にかかわらず、才能のみを基準にした。だから自分を苦しめ抜いた敵さえも大胆に登用したのである。
 それに対して「持てる人」袁紹はどうであったか。曹操のもと、知略をふるう郭嘉が袁紹に面会して、「袁紹は学問をおろそかにした」と喝破した。学問とは結局人を知る力である。自分のことを強い偉いと考えている人は、相手のことを知ろうとしない。そこに弱さがあったのだ。これは兵法にも言えることで、つまるところ兵法について深く考える人は、じつは弱者である。圧倒的な軍勢を要していたら、用兵のことなど考えない。弱いから戦うことを恐れる。恐れるから相手のことを考え、戦い方を研究する。曹操が兵法に優れていたのは、「自分に力がない」と言う意識があったからである。「微(び)なるかな微なるかな、無形に至る。神(しん)なるかな神なるかな、無声に至る」。戦場で同じ状況は二度とあらわれない。臨機応変、形もなく音もなくなるほど変幻自在に対応するのが名人の戦術観なのである。この点では劉備も同様で、やたら敗走している。戦(いくさ)下(べ)手(た)というイメージだが、蜀の中では最も兵法に通じ、戦い方がうまかったのは、関羽でもなければ趙雲でもなく諸葛亮でもなく劉備である。敵の兵との質、量の差をはかり、勝つべき戦いには勝ち、敗れるであろう戦いは避ける。つまり自軍の戦力に幻想を抱かないのである。しかも敗走を恥だという感覚も彼にはない。一見平凡に見えるが、名人の域に達していると言える。

また学ぶという点では曹操が傑出している。それは諫(かん)言(げん)にたいして聞く耳を持っていたことである。「直言を避けていたら人は成長しない。苦言や諫言は良薬のようなもので、たとえ苦くても飲まなければ病は治らない。私に悪いところがあったら遠慮なく言ってもらいたい」、と言っている。しかしこれは例外で、諫言で失脚したり命を落とした家臣は枚挙にいとまがない。もし臣下の立場で考えるとすれば、直接的に批判する「直諫」はやめたほうがいい。面と向かって下の者から批判されるとそれが正言であっても不快になる。しかしいかなる諫言も聞き入れてもらえなければ駄目なので、組織人はどのようにすれば意見が上に容れられるのか、頭を使うべきだと言っている。ところで劉備がなぜ人望を集めたのかであるが、それは「欲得のすくなさ」である。すべてを捨て続けて生きる、これが三国志に込められた真実である。

 

 

ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.