癌、生と死の謎
 
 近藤誠著、「患者よ癌と闘うな」という本は日本中に論争を巻き起こした。近藤医師は抗がん剤については、効くのはごく少数のがんだけで、大半が効かないとはっきり指摘した。延命効果があるとされる抗がん剤が、使った人と使わなかった人の間で、余命に殆ど差がないことをデータで示し、世の人を驚かせた。立花隆氏はご自身が膀胱癌にかかり、癌関係のシンポジウムに招かれた。出演者は大学や大病院、がんセンターなどのそうそうたる有名臨床医たちで、昼休み控え室で皆が雑談していた。いつの間にか抗がん剤がどれほど効かないかという話を一人がし出すと、みんな抗がん剤の名前を出して、次から次へとどれほど効かないかを競争のように話し出した。
「結局、抗ガン剤で治るガンなんてありません」と大御所の先生が言うと、みなその通りという表情でうなずいた。「えー、そうなんですか?それじゃ近藤誠さんが言っていたことが正しかったと言うことになるじゃありませんか」と言うと、大御所の先生があっさり、「そうですよ、そんなことみんな知ってますよ」と言った。こういう話になると、ではガン克服のために日夜研究努力している世界中の学者は報われないではないか。そこでガンとはいかなるものなのか、出来るだけ正確に知ることが必要だと思った。

 ガン細胞の特色の一つに、正常細胞の下に潜り込んで、正常細胞を隠れ蓑に検査の目を逃れてしまうということがある。そのため検査で、もうガン細胞はなくなったという評価を受けてしまい、さらに薬剤を投与してもそれがガン細胞に届かないという事態が生ずる。また次々に新たな抗ガン剤が登場しても、ガン細胞は直ぐに薬剤耐性を獲得し、薬が効かなくなる。新薬と薬剤耐性との間で、イタチごっこを繰り返し、しかも新しい変異はより悪い方向に進化し、ガンがどんどん悪性化して行く。患者の数だけ違うガンがある。なぜならガンはその人の遺伝子に蓄積した変異の積み重ねがもたらすものだからである。個人個人が皆違った人生を歩んできたように、その人のガンも違った人生の反映であり、同じガンはこの世に二つとないのである。またガン治療でやっかいなのは、ガンに対する攻撃は自分自身に対する攻撃でもあることだ。抗ガン剤を服用すると、血流に乗って体の隅々まで運ばれ、その副作用は全身に及ぶ。ガンの急速な増殖を抑えるための抗ガン剤は、あらゆる細胞の増殖を抑えようとする。特に細胞分裂の活発なところに働く。皮膚が輝きを失いボロボロになってひびが生じたりするのも、皮膚の新陳代謝が妨げられるからである。日々の栄養吸収は胃腸の上皮が行っているから、それがボロボロになれば、吐き気も食欲不振も起きてきて当然である。「ガンは自分の外にいる敵ではない。自分の中にいる敵だ。あなたのガンはあなたそのものである。ガンには生命の歴史が込められている。ガンの強さは、あなた自身の生命の強さでもある。だからこそガンという病気の治療は一筋縄ではいかない。ガンをやっつけることに熱中しすぎると、実は自分自身をやっつけることになりかねない。そこにガン治療の大きなパラドックスがある。」
 抗ガン剤の最大の副作用は、「骨髄抑制」で、骨髄の造血機能そのものを傷害する。白血球の数がどんどん少なくなり、免疫力がガクンと低下し、感染症にかかりやすくなる。赤血球も減るので貧血になり、血小板が減少するので皮膚に点状紫斑があらわれたり、鼻の粘膜や歯肉から出血する。骨髄の造血幹細胞は、赤血球、白血球などを造るだけではなく、免疫作用の主たる担い手である、リンパ球も造っている。そこに障害作用が及ぶので、さらに免疫力は低下する。その結果あらゆる病気にかかりやすくなり、ガンでは死ななかったが、他の病気で死ぬということにもなる。抗ガン剤には、はっきり効くガンと、必ずしも効かないガンがある。少数の効くガンを除くと、効かないガンが大多数である。また例外なく強い副作用がある。抗ガン剤のメリットとデメリットを秤に掛けると、どちらが上回るか、疑問のあるケースが多い。その結果、医療の中心を治療からケアに移していくという、ガン医療の基本理念の大転換が行われるようになった。

 


二〇〇八年度から、従来は終末期患者の痛みをいかにおさえるかという、身体的苦痛の取り除きだったが、それ以外に、家庭の問題、仕事の問題、金銭的経済的サポートの問題等々、社会的苦痛もかかえている。また不安、不眠、うつ状態と言った精神的苦痛もかかえている。自分の人生にどんな意味があったのだろうか、迫り来る死の恐怖にどう耐えたら良いのか、いろいろ悩んだりする。そのような問題を取り上げ、患者と語り合う、「ガン哲学外来」と言うユニークな講座がある。    例えると、自分の家に不良息子が出た。では不良息子を殺すか。殺さないでしょう。ここまでは止めてくれ、例えば覚醒剤だけは止めてくれ、ここまではいいよ、これが話し合いです。そして共存して行く。こういう多様性、相手の存在を認めるのが、ガン哲学である。恐ろしく手強いガンといかに共生して行くかを考えると、そこらあたりが結論なのではないかと思うに至った。 

 

 

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