生命の連環
 
 ガンのしぶとさについては今までにも幾つか例を上げてきたが、ここにしぶとさの究極とも言える事実がある。それはHIF・1遺伝子である。カルフォルニア大学のランダル・。ジョンソン教授の実験で、HIF・1遺伝子のノックアウトマウスを作ったところ、そのマウスが胎児のうちに必ず死ぬということである。これは人間にとっても同じ事で、万人がHIF・1遺伝子を持っている。と言うことは万人がガンに罹ったとき、そのガンがとてつもない生命力を持って、放射線や抗がん剤でどんなに攻撃してもしぶとく生き残るガンになってしまうということを意味する。その人のHIF・1遺伝子をなんとかつぶそうとしたら、今度は人間が死んでしまう。ガンが育つには十年も二十年もかかるのだが、その間にどんどん変異して、大きく育つまでに異質の細胞の集まりになってしまう。

ガンの薬の開発は全て培養皿の上のクローン塊、或いは実験動物のお腹の中からクローン塊であるガンを対象に実験をし開発されたものである。人間のお腹にある複雑怪奇な来歴を持つ、異質なガン細胞の混成集団であるリアルなガン細胞塊に投与しても、効くのはガン細胞の二,三十%で、現実のお腹の中のガンについては分からないことだらけと言って良い。もう一つのしぶとさに、ガン幹細胞なるものの存在である。抗ガン剤で子孫は殺せるが、幹細胞は殺せない。生命の根源にはそう簡単には死なないように、自分の生命を守る仕組みが沢山ある。ガン幹細胞はその仕組みを正常な幹細胞から皆受け継いでいる。進入してきた毒物をはき出す仕組み、過剰な放射線から身を守る仕組み、正常細胞から受け継いだ幹細胞のサバイバル能力が、ガン幹細胞にも生き抜く力を与えている。 ここまでお話をすると、人類はガンに対して無力で、もうお手上げかというと、そうとばかり言えない。進化の長い歴史が生んで与えてくれた「頭脳」と「不屈の意志」、これこそ我々が持っている武器なのではないだろうか。どんなにしぶとかろうが、謎を突き止めずにはおかない我々の脳、それを克服せずにはおかない強い意志である。ガンについて調べていって分かったことは、そもそも人間は死亡率百%の動物であり、我々はガンであってもなくても必ず死ぬということである。
 「死ぬ瞬間」という本を書いたキューブラー・ロスによれば、死の受容までに五段階の心理状態を経験するという。第一段階否認(そんなはずがない)・第二段階怒り(なんで自分にそんな運命が)・第三段階神様との取引・第四段階抑鬱・第五段階受容。こういう段階を踏まないと人間は死の受容が出来ないのである。
 これだけは確信して言えることがある。一つは自分が生きている間に人類がガンを医学的に克服することはないということ。もう一つは自分がそう遠くない時期に確実に死ぬだろうけれど、そのことが分かったと言って、ジタバタしなくて済むだろうと言うことである。野の花診療所の徳永先生から学んだことは、人間はみな死ぬ力を持っていると言うことである。単純なことだが、人間はみな死ぬまで生きるのである。ジタバタしてもしなくても、死ぬまでみんな生きられる。その単純な事実を発見して、死ぬまでちゃんと生きることこそ、ガンを克服することではないだろうか。ヒトは死すべき運命にあることを自覚したとたん、死すべき運命を乗り越えることができる。野の花診療所の大阪さんは「それは周囲です」と言った。自分は弱い人間だけれど、周囲に支えられてこうして生きてくることができた。その周囲のヒトに対して最後に有り難うの一言を言いたい、と言う言葉である。人間の限りある命は単純にあるのではなく、幾つもの限りある命に支えられて、限りある時間を過ごしてきたのだ。命は連続帯であるとともに、連環体であるとわかった。人の命は限りあるという点において「いのちの連続体」の切断された一部としか見えないかも知れない。しかし、それは同時に周囲に支えられて存在するという視点から見ると、命の連環体のおおきな一部でもある。そういう連環体が連なって「大いなるいのちの連続体」をなしているということが言える。

 大阪さんは「それは周囲です」「最後に有り難うの一言を周囲に言いたい」と言うことは、大阪さんがヒトの死すべき運命をすでに乗り越えているのではないだろうか。くどいようだがここは重要なところなので、補足したい。生命は連続体というのは、全ての生命には生と死があり、生まれてから死ぬまで切れ目なくつづく存在であると言うこと、そして死が訪れたとき、生命は途切れるわけである。生命は連続体とは全ての生命は生態系としてつながり合っているということである。同時代の生命が全て連なってできた、「わっか」の一部として、個の生命連続体は存在しているのである。別の言い方をすれば、生命誕生以来、すべての生命はつながり合って生きてきたと言うことである。
  ヒトとガンとの正しい関係は、永遠の敵対関係を続けることにあるのではなく、共存と共生を目指すことしかないだろう、ということの真の意味もそこにあると言える。大阪さんの言葉にあったように、「ありがとう」の一語が発せられると、全生命連環体と個の生命連続体が、無理なく繫がると言うことである。 

 

 

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