ガンセンターへ行くと、うんざりするほど待たされたあげく、ああでもないこうでもないの検査を何日もかけてされ、挙げ句の果て肺ガンを宣告された。しかも進行性で、既に脳に転移していると告げられた。脳腫瘍が十個以上も出来ており、末期癌の状態で余命は一年あるかないかだと言われた。医者はまだ生存の可能性ゼロというわけではないから、放射線を直ぐ始めるとともに、六パーセントにかけて化学療法を始めることをすすめた。このまま放っておくとケイレン発作やテンカン症状を起こして倒れるかも知れないと警告した。彼女はこの余りにも衝撃的な事実を直ぐに受け入れることが出来ず、医者と激突した。そんな説明は納得できないと言い、そこに至るまでの医者の態度の悪さ、病院の対応の悪さ、ガンセンター総長に手紙を書いて担当医の交代を求めるまでした。手を焼いた医者は築地ガンセンターに紹介状を書いて、セカンドオピニオンをすすめた。彼女は自分がガンであることは、種々の検査結果から否定しようもないこととして受け入れていた。では何のためのセカンド・オピニオンかと言えば、余命の確認とこれからの治療の方針の立て方である。突如訪れた余りにも過酷な運命に対する憤懣が、医者に対する怒りとして爆発したのである。公平に見れば医者は医者でまともなことを言っている。しかし彼女は「酷いでしょう」「許せない」をいつまでも繰り返すのだった。目の前で繰り広げられた担当医との壮絶なバトルを目撃して、医者と患者の関係をこれほど悪いものにしてはいけないと感じた。私が何故ここまで詳しく経緯を書いてきたかというと、最近これと全く同様の事実を、個人的に目の当たりにしたからである。突然末期癌の宣告を受けた人間なら、誰でもたどる典型だと感じたのである。ガンと闘うより、医者と闘う方に熱中して、それでガンと闘っているつもりになるという大いなる錯覚を起こしがちだということである。また彼女は末期ガンの患者がよくそうなるように、「代替治療」にはまりこんだ。ガンは心で治せると言った類いの怪しげな医療である。そもそもそういう怪しげなものは大嫌いだったのに、これにはちょっと唖然とした。しばらくして「こんなの信じられないかも知れないけど、最近本当に体の調子が良いのよ。やっぱりこれが効いてきたんだわ」と大真面目に言った。 ガンは自分の死を覚悟し、無理な延命を求めなければ、ほとんど終末期まで意識の清明さを保って、ものを書くなど精神的労働が継続できるのである。そこまでの覚悟が出来てから彼女は落ち着きを取り戻し、残り時間を利用して、数ヶ月かけて息子への遺書のような本を一気に書き上げ、講談社から出版した。それは残り少ない生命のエネルギーを燃焼させたような驚くほどの集中力で仕上げた本だった。ガンに追い詰められて、火事場の馬鹿力的な力が一挙に出たのだろう。しかし突然様態は急変し、そのまま退院することはなかった。ガンの宣告から死まで、ほぼ一年間の彼女の悪戦苦闘をハタから見ていて、これは他人事ではない。いつなんどき、ガンを宣告され、余命はあと1年ですと言われるかも知れないのだ。そうなった時、残り時間をどう使うか、今のうちから真剣に考えておく必要があると思った。 |