こういう実験をした。水迷路実験と言って、水面下が見えないように不透明なミルクで作ったプールの中に、一ケ所、水面下スレスレの所に足場を作っておき、その場所を覚えていて、そこに素早くたどりつけば溺れない。その足場の上に乗っかって、水面上に頭を出したままでいられるわけである。しかし覚えなかったらアップアップしてしまう。こういう状況を作ってやると、並のマウスは場所をぜんぜん覚えられず、何度もアップアップを繰り返すのに、天才マウスは、一度教えたら(或いは自分で発見したら)サッとそこにたどりつく。 さてどのように天才マウスに遺伝子操作をしたのかというと、脳の中で働いているNMDA受容体のNR2Bタイプをふやしたのである。沢山の神経伝達物質とその受容体のうちでも、興奮性の速い神経伝達を担うグルタミン酸の受容体で、記憶など高次の神経機能にいちばん関係が深いとされている。なぜ記憶と関係が深いのかというと、ふつうの受容体が一種類の特定の信号を受け取ったときにだけ開くのにたいし、NMDA受容体は、特定の二種類の信号を受け取ったときだけチャンネルを開くという独特の性格を持っているからである。記憶というのは、何によらず二つの要素を結びつけることの上に成立している。例えば人の名前と顔、言葉の音とつづり、場所とそこにあるもの等々であり、何らかの結びつきを覚えることが記憶と言える。ということは、記憶の基本メカニズムは、このNMDA受容体の性格による二つの信号の結びつけ能力にある。もう一つNMDA受容体が記憶と関係が深いと推測される理由は、必要な信号の片方は、何らかの繰り返し刺激から生まれるという性格である。繰り返し刺激によって、神経細胞のシナプス部分の通りがよくなる現象である。頭で覚えることでも、体で覚えることでも、繰り返せば繰り返すほどよく覚えられると言うことは、誰でも体験事実として知っていることだろう。
さてここからが話の核心部分なのだが、天才人間作りは可能かと言うことである。しかしそれは単純には答えにくい。単にできるかどうかであれば、人間もマウスも大きな違いはないからできると思う。そして同じような効果があって、ある種の知的能力は向上するだろう。しかし記憶とか学習というような脳の高次機能がどのような仕組みで働いているのか、まだ解っていない。またそれによって知的能力全体がどのような影響を受けるかは解らない。さらに問題なのは、そういうことをやって良いのかどうかと言う倫理上の問題もある。では人間に対する応用は将来ともないのかといったら、そうではないと言える。その働きを向上させるような薬を開発するかも知れない。そういう研究開発はすでにスタートしている。要するに頭の良くなる薬である。おそらく最初はアルツファイマー病治療薬として使われるだろう。効果があり安全だと言うことが解ってくれば、普通の薬として一般に売られるようになるかも知れない。それが高価だと、金持ちはそれを買って頭が良くなれるが、貧乏人はそれが買えないのは不公平という声が出て、子供には国の負担でみんなに飲ませてやろうと言うことに なるかもしれない。今の子供がみんなインフルエンザワクチンを飲むように、頭の良くなる薬をみんな飲むようになるかも知れない。そして安全で効果があるとわかってくると、だんだん適用範囲が広がって、普通の老人性知的減退、いわゆるボケに対してもそれがおこなわれるようになるかもしれない。 |