第十回  飯 台 座

  堂内員は飯台看(はんだいかん・給仕役)の打討ち鳴らす雲板(うんぱん・雲の形をした板状の鐘)を合図に直日(じきじつ・禅堂内を取り仕切って一切の面倒をみる者)に先導され食堂(じきどう)に向う。僧堂内は全てこのように鳴物によって何があるのか合図される。因みに粥座(朝食)・斎座(昼食)はこの雲板が鳴らされ、薬石(夕食)には柝(たく・拍子木)が打たれる。食堂は玄関と本堂の間にある両側畳敷き、中央が板の間の通路である。畳の所に合い向いに座り、飯台が一列に並べられる。着座すると直ぐ食事のためのお経や偶(げ)が唱 えられ、その間に手早く各自持参の持鉢(じはつ・五つ重ねの漆器のお椀)を作法に従って広げる。続いて飯台着によってご飯や味噌汁、沢庵など決められたものが盛り付けられる。食事の内容は極めて粗食である。粥座は非常に薄い麦粥で一杯目は兎も角二杯、三杯目ともなると殆どお湯のようで、天井が映るところから通称、天井粥(てんじょうがゆ)と呼ばれている。斎座は麦五、米五の割合の麦飯に味噌汁、沢庵。但し分量は大きなお碗で四杯食べられるから充分ある。薬石は朝と昼の残り物全て一緒に煮込んで雑炊にしたもの、これが一日の食事の全てである。
 さて最後に生飯(さば・七粒ほどご飯をつまんで手のひらの上で三辺ほど空じて飯台の端に置く)を餓鬼に供え、看頭(かんとう)の柝一声を合図に食事が始まる。飯台座・浴室・坐禅 堂は三黙堂と呼ばれ特に静寂を要求される。粥をすする音、沢庵を噛む音、箸やお碗を置くときの音、これらは全て禁物である。こうした厳粛な雰囲気の中で進められる。食事の最後は注がれた一杯のお茶で、使ったお碗は手でごしごしと洗い、そのお茶を飲み干し、布巾で拭い元通りにしまう。このように厳格な作法、最低限の食生活のなかに最高の感謝を込めて行われる 飯台座に僧堂修行の真髄が窺えるのである。  


『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

 

 
 
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