第十一回  茶 礼 (されい)

  粥座に就いて、天井の映るようなしゃびしゃびのお粥を食べ終わると、禅堂に戻り、直ぐに茶礼が始まる。待ち構えていた聖侍(しょうじ)役の者が大きな声で「茶礼!」と言う。先ずは文殊菩薩にお茶が供えられ、その後次々に直日(じきじつ・禅堂内の指導者)からお茶が注がれる。この時に使う各自の湯呑みは普通のものより大きめで、丁度お寿司屋さんの上がりを入 れる湯呑みの大きさである。何故かというと禅堂内は薄暗くて大きくないと扱い難いということ。又、臘八大接心(ろうはつおおぜっしん・ 八日間堂内に寵もって不眠不休の修行をする。)の時にはこの茶碗で甘粥(かんしゅく・甘酒のこと)を頂くなど、単にお茶を飲むだけの用ではないので、昔から茶礼茶碗は大きくなければいけないと言われている。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 茶礼は一つの薬罐のお茶を皆で分け合って飲むもので、僧堂修行では度々行われる儀式である。特に大きな行事が始まるような時には必ず茶礼をして、皆の心を一つにするという意味合いを持つ。作法として特別なものがあるわけではないが、沢山の者が素早く済ませるためには、三人が、一単位になって真ん中に茶碗を寄せる。注いでもらったら直ぐに右手の平をちょっと挙 げて、もう結構ですという合図をする。従って茶碗にはほんの一口分が注がれるだけだがこれで良いのだ。お茶を飲むというより実質は精神的な意味合いの方が大きく、いわば秩序と和合の心を飲むというものなのである。普通朝の茶礼ではこの後、聖侍によって一日の行事予定が大きな声で報ぜられ、これによって自分達は今日の作業で一体何をするのかを知る。
 又作務(さむ)の途中にも午前と午後それぞれ一回づつ茶礼がある。この時のものは一般にいうお茶″と同じで、お菓子や果物なども出され、ちょっぴり空きっ腹が癒される。現在は檀信徒の方々からの色々な頂きものもあり、私が修行していた頃に比べて本当に賛沢になった。当時はお菓子など殆ど無く、大抵は千切りにした沢庵が出てきた。それでも一時の茶礼は何よりほっとし、息をつく時間であった。
 こんな風に皆が纒まってする茶礼の他には、特に常住員(じょうじゅういん・炊事やお経係、老師の侍者など、それぞれの役を与えられてい る者)ともなると、その寮舎の中でこっそりと、いわば自主的茶礼をやることがある。朝早いので昼の食事までが特にお腹が空いて堪らない。それで下っばの頃は良く使いにやらされたものである。茶礼にはこういう数々の思い出が一杯に詰まっている。今は甘過ぎるものは余り好まれないが、逆に僧堂では菓子は甘ければ甘い程良い。禅堂で長時間坐って、夜八時の茶礼に出される饅頭のその甘さは今でも忘れることが出来ない。ただこの時のお茶汲み役は僧堂の中でも一番古い者がやる。新参者はひたすら坐禅三昧、他ごとには一切煩わされずに修行させてもらえるのである。

 

 
 
ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.