第二十二回  祝 聖


 毎月一日と十五日は祝聖(しゅくしん)である。この日は何時もより三十分早く起床して朝課行事の前に天皇陛下の聖寿を祝祷し、併せて国家の安寧と人々の幸せを祈願する。
 まず例によって大鐘が鳴ると手早く東司や洗面を済ませ、この日だけは特別に白衣に白足袋、袈裟を着け法衣も真威儀で、雲水最高の正装となる。堂内の支度が整うと侍者さんが前門の戸を二回叩き、大鐘を撞いている者に報せる。やがて鐘が打ち上げられると本堂の角にある法鼓(大きな太鼓)が独特なリズムで拍子を取りはじめる。静まり返った境内に響き渡る法鼓の音はいつ聞いても良いもので、普段とは違う祝 聖の荘厳な行事を予感させる。


『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
さていよいよお経の始まりであるが、いつもより早く起きているうえに、大悲呪・消災呪というお経を実にゆっくりと丁寧に立って誦むのである。眠いの何のって、ついお経も力が抜けて小声になってしまうが、そこは空元気をだしてでも大声を張り上げ全身で誦まねばならない。次に回向(えこう)が唱えられる。この時中央の老師が手を前に組み深々と頭を垂れる姿は、我々の修行が決して個人の心の修練ばかりでは なく天下国家を支えているのだということを感じさせられる。次に開山禅師、偉駄天諷経、世代墓所、最後は禅堂文殊菩薩にお経を誦んで終わる。この間延々一時間半である。
 さて祝聖の朝の粥座は小豆粥である。平生は麦のたっぷり入ったお粥だから、この日の豆粥は特別に旨い。しっかり四杯腹一杯と言いたいところだが、まともに飯粒の入っているのはせいぜい二杯冒くらい迄で、後は重湯のような汁ばかり、一口で飲みおわってしまう。それでも疲れた体にこの祝聖後の豆粥は五臓六腑に染み渡る美味しさである。
 僧堂では世間一般のように曜日では動かず、このようにして月二回の祝聖行事を中心に、全ての日程を組む。だから今日がいったい何曜日なのかさっぱり解らないことになる。祝聖から次の祝聖までの間を二等分して、この週は小接心とか大接心とか地取接心、練返接心などというように日割りをして行くのである。そしてそれぞれの日程の間に必ず一日把針灸治(はしんきゅうじ)を設ける。文字通り繕いものや医者 へ出掛けて体の治療をするということだが、今では殆どそんなことをする者は居ない。この日ばかりは堂々と外出できるので、街中へ出掛け普段は出来ないことをしたりと、一日楽しく過ごすのである。
 それはともかく毎月二回の祝聖は心を新たにして、また頑張ろうと心に期する節目の行事でもあり、我々の修行の大きな精神的基盤を再確認する日なのである
 
ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.