第二十六回  解 定(かいちん)

 午後九時、助警によって僧堂前門に掛けられた木版が打たれるとすぐに解定諷経が始まる。このとき誦むお経は仏頂尊勝陀羅尼と消災呪である。早朝午前三時半開静(起床)、朝の勤行から一日が始まり、日中は山へ行っては下刈りをしたり薪を作ったり或いは畑を耕したりと肉体労働の連続で、くたくたになってこの解定をむかえるのである。解定諷経が終わり三拝が済むと猛烈な勢いで法衣を脱ぎ、布団棚から柏布 団を引きずり降ろし、あっという間に布団に潜り込む。この間一分とかからぬ早さである。そのわけは解宝前の御支度の時、法衣を腰のところで縛り付けている手巾(しゅきん)という太い紐を予め簡単に外れるように特殊な結び方に変え、一カ所ちょいっと外すとたちまち紐がバラバラになるようにしておくのだ。柏布団の間に体を入れ顎を布団の縁から出して目をつぶる。直日が警策を持って素早く全員の前を一巡する。遅くともこの時までには寝る体勢になっていなければならず、中には万事遅めの者なども居て、直日から罵声とともに激しく警策で打たれたりもする。こんなことも慣れてしまえばどうということもないが、いずれにしても朝から晩まで油断も隙もないのである。
 寝具は道場から支給されるたった一枚の布団で、これを二つに折り丁度柏餅のあんこになったようにして間に挟まって寝る。布団は冬用に分厚くできているから夏になるととても堪らない。勿論シーツもなければ枕もない。寝間着に着替えると言うこともないので、法衣の下に着ている着物がそのまま寝間着になる。
 何時だったか隣単の念さんとどちらが早く寝られるか競争しようと、たばこ一箱を賭けて競い合ったことがある。そこで隣同士平生には無いような猛烈な勢いで思わず、えいっ!やっ!と気合いを掛けてしまったために、二人揃ってえらく叱られてしまった。結局この勝負は私の負けだったのだが、こんな馬鹿なことで若い血を滾らせていたのである。

 直日の巡警が終わり警策を聖僧前にカチン!と置くと同時に灯りが消され、暗闇の中、直日は残香の一?を坐り、十分ほどして静かに退堂する。それから全員静かに起きあがると座布団を抱え外に出て、今度は夜坐となる。本堂の濡れ縁に横に一列になって再び坐禅が始まる。解定は一端寝る格好をするだけで本当の就寝ではないわけである。真冬厳寒の時期には夜坐から帰って布団に潜り込んでも、冷たい体が暖まら ないうちに朝の起床を告げる大鐘の音を聞くことも度々であった。
 また大接心摂了の解走諷経は独特である。大悲愁・消災呪をできるだけゆっくり誦む。これは少しでも解定を遅らせ、ぎりぎりまで?提工夫し、何とか新たな活路を得たいという修行者としての切なる願いが込められたものである。


『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 
 
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