第二十七回  副 司   

 僧堂では或る程度の修行年数を重ねると評席に指名する。評席とは副司・大典・直日の三役で、また知客・副司・直日という組み合わせもある。何れにしてもこの上位三名が僧堂全体の指揮監督に当たり、円滑に運営されるよう老師の補佐をして行くのである。平常はもっぱら坐禅や掃除などに明け暮れていたのが、いきなり算盤片手に会計簿と睨めっこすることになり、これにはいささか戸惑う。私も最初この役を仰 せつかった時はいくら検算しても帳簿と現金が合わず困り果てたことがある。お金のことを ″お足″とはよく言ったもので、知らぬ間にお金が何処かへ歩き出して姿を消すからぴったり合わないのだな〜などと勝手な解釈をして、余り気にしないことにした。おおよそ坐禅修行と金勘定など合うはずもないのだ。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

 僧堂の主な収入源は托鉢・法要などである。質素枯淡を旨とする道場でも所帯が大きいと言うことは何かにつけて物入りなもので、そこを 如何にやり繰り算段するかはひとえに副司の腕に掛かっている。例えば味噌、醤油、砂糖などにしても、點案寮(総菜作り役)には何時も厳しく目を光らせ、賛沢な使い方をしないよう指導する。時折り展待(特別ご馳走)などがあって、味噌汁に豆腐が入る。こう言う時でも何人に豆腐何丁を使うかが問題で、典座(炊事係)は成るべく沢山入れようとするし、一方副司は少なめにしたがる。というわけでときに大喧嘩 になることさえある。今考えると可笑しい様なことだが、お互い血気盛んな年頃でその上純だからこういうことになるのである。
治生産業実相と相い違背せず″というように、世事に係わることも決して修行と別ではない。何れ後、自分が寺の住職になった時には、即座に必要となる問題であり、若い時実地に訓練されることは得難い経験である。特に寺の修理などでは、業者との価格交渉、費用の捻出、工事 の進行など老師との間に入って様々な工夫が必要で、これも大変良い勉強になった。昔は副司のことをお納所さんと呼び、年貢米の徴収掛かりもしていたそうである。収穫の頃、蔵の前では何百俵もの米俵を間に挟んで、多くの小作人とわいわいがやがや、それは賑やかだったという。今やこんなことは遥か昔話になってしまったが、直接世事に係わることが修行者として、また一段の成長を培うのである。
 その他、老師に相見する客の応対も大切な役目の一つである。隠寮へ取り次ぐまで、寮舎でしばしお待ち頂いている間、一介の雲水の身分 では到底お目に掛ることのないような立派な方々から貴重な話を聞くことが出来、どれだけ有り難かったか知れぬ。このように副司役をすることによって更に多角的に鍛えられてゆくのである。

 
 
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