第四十回  警策
 禅寺で坐禅というと一般の方々は直ぐに、「棒で背中をビシバシと叩くのでしょう。」と言う。以前、或る所で坐禅会を催したところ、若い娘さんが二人やって来て、「坐禅は組みませんが、その棒で背中を叩いて下さい。」と言ってきた。心に活を入れたいのだそうだ。警策本来の用途ではないと思ったが、ご希望通り叩いてやった。すると、「これでスッキリしました。」 と喜んで帰っていったことがあった。
 警策は坐禅の止静中に、睡魔に襲われていたり、反対に非常に充実した坐禅をしている者などに、策励の気持ちを込め、文殊菩薩に代わって打つものである。従ってそこに私情が入ることは固く禁じられており、打つ側も打たれる側も共に真剣勝負である。本参の話頭に向かって工夫専一の中から、自ずから出てくる励ましで、居眠りをしている者へ罰だとか、単に活を入れるために打つなどという低次元な遣り取りでは 決してない。だから警策を持って巡回できる者はそれなりに修行を積み、眼を具した者でなければ許可されないのである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

 警策の材質も夏期と冬期とでは違っている。夏は薄着をするから檜であり、冬は厚着をするから橿である。また打つ回数も夏は両肩二発づつで、冬は四発づつとなる。この時、意外と大きな音がするので初めての方はビックリされるが、音から思う程痛くない。警策を当てる部分は平べったくなっており、背中の骨を避け、上手に筋肉の部分を狙い定め打つので、よどんでいた血もほど良く巡り、むしろ後は清々しい気 持ちになる。
 ところが、これは一般の方々を対象にした場合の話しで、専門道場で雲水が大接心中に打たれる警策はこんな生易しいものではない。長時間に亘る坐禅に加え、参禅ではぎゅうぎゅうの目にあい、七転八倒の苦しみの真っ只中だから、知らず知らずのうちに力が入って、警策が何本も折れる。しかし、これで怪我をしたとか、後遺症が残ったなどというのは聞いたことがない。 余念を交えず、修行一途なのが何より肝心なのである。

 
 
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