第四十二回  入室(にっしつ)
 曹洞宗の黙照禅に対して臨済宗は公案禅と云い、入門が許されると、その日の晩から参禅入室がある。室内での作法については、予め先輩雲水から、実際の参禅室へ行って、ことこまかく伝授して貰う。最一回目の入室は低頭のまま、「公案を頂きに参りました。」 と言うと、初めてこれからの修行の目標となる問題が与えられる。しかし、極度の緊張と、まだ僧堂自体万事初めての事ばかりなので、大抵はここでスカタンをやらかす。いきなり老師の面前へ進み出てしまったり、敷居に蹴躓いてよろけたり、また拝もせず退室したりと、まごつくことばかりである。特に現代っ子は着物を着ると言うことがないから、裾がびゃ〜とおっぴろがったまま平気でやってくる。そこは老師も心得たもので、大抵は大目に見て、いきなり怒鳴り上げるということはない。しかしこれも未熟故で、いつまでもスカタンを繰り返していようものなら、ド カ〜ンと雷が落ちて、肝を冷やすことになる。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

 最初に与えられる問題、これを初関という。これは各僧堂の老師によって凡そ決まっていて、室内も大きく分けると隠山派と卓宗派が有り、その指導方法にも大きな違いがある。私は隠山派の室内しか参じていないので、卓宗派の事は分からないが、公案によっては、両方を見るものもあるので、ニュアンスの違いは解る。
 さて公案を与えられた新米雲水だが、公案自体がちんぷんかんぷんで、一体何を問われているのか皆目分からない。結局、無茶苦茶なことを言って行く他はない。そういうバカを相手にする老師もご苦労さんだが、雲水の方もいきなり崖から蹴落とされたようなもので、お先真っ暗、ただ呆然とするばかりで、毎回入室の時間が近づく度に、鉛のように重たい気持ちになる。
 さて室内だが、特に決まりはなく、広さは僧堂によってまちまちである。師家と雲水との遣り取りが第三者に聞かれないように、喚鐘場とは相当離れている事が多い。うちの場合は茶室を利用しているので、六畳二間で、開け放たれた障子越しに鬱蒼と茂る杉苔、紅葉やドウダンの植え込み、つくばいから流れる水の音が静に辺りに響き渡っている。そんな雰囲気のところで、場合によってはドッタンバツタン師家と雲水が取っ組み合いをしたり、大声を張り上げたり、歌ったり舞ったり、知らない者が見たら一体何をやっているのか、頭を傾げたくなるよう
な場面もある。入室中は師家と雲水は一対一の全く対等な立場となり、雲水は怯むことなく堂々と見解を呈し、受けてたつ師家の方はじっと坐を組み、竹箆を握り、睨みつけている。ここでは、老師は雲水の答えを聞くのみで正解なら「良し」 と言い、間違いなら脇に置いた鈴をチリチリと振るだけ。問答はこれで終わりで、雲水は拝をして直ちに引き下がらなければならない。初関を通るのに二,三年は掛かる。この間、必死の思いで入室するのである。

 
 
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