僧堂修行では万事に工夫が必要である。それは公案の拈提工夫から日常の作務まで、あらゆるところに至る。特に入門当初直ぐに与えられる公案は、従来の常識をもっては全く解決できない難問で、丁度真っ暗闇に頭を突っ込んだような状態になって、お手上げとなる。そうは言ってもその答えを朝晩必ず提示しなければならないのだから、何とか工夫して答えを拈り出すより他ない。そこで頭の中は寝ても覚めても、公案一色となり、ただそれだけを思い続けるのである。「想い出すよじゃ惚れよがにすい、想い出さずに忘れずに」。片時も心から離さず温め続ければ、やがて自分がそれまで理屈で考えていたことが無意味だったかと解り、自分の内に向かって深く極めて行くようになる。そうなると余分な計らいは一切なくなり、自然体な自分に成ってくる。ここに至って初めて本当の工夫が生まれるのである。だから一辺はこういう状態まで自分を追いつめて行くことが必要不可欠である。この境地は、ひたすら坐禅を組むことによって得られもので、工夫とは、世俗で言う妙案をちょいっと拈り出すというような沙汰ではない。
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