第四十七回  夜坐

 禅堂での坐禅は厳密に坐る時間が決められていて、季節によって多少異なるが、日中の行事や作務が終わり薬石を済ませ、その後晩開板(この時間も僧堂によっていろいろだが、うちの場合は夏制半年間は午後六時半・冬制半年間は午後六時)となり一斉に禅堂で坐る。午後九時、解定諷経があって、カシワ蒲団を延べ寝る格好をする。直日がぐるりと検単してから警策をカチン!と音を立てて置くと同時に禅堂内の灯りが消される。直日は残香の一坐ってから、静かに聖侍寮内の直日部屋に下がる。この時後門の閉まる音を聞いたら一斉に起きあがる。未経験の者は一端寝てから、今度は暗闇の中起きあがるので、何事が始まるのか不思議に感ずる。一端脱いだ法衣を再び着け、単布団の上に載せてある座布団を小脇に抱えて夜坐に出る。つまり夜坐とは、禅堂内での規矩坐が解定で終わり、その後禅堂から出て、今度は本堂の濡れ縁で坐禅を組むことである。


『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所

尤もこの場所も僧堂によっていろいろで、私が修行した僧堂は山寺だったから、境内も広く幾つもお堂が建っており、また後ろに山もあったので、好みの場所でよかった。夜坐は本人の頑張り次第で、一時間二時間と、酔魔と戦いながら深夜に至るまで坐る。だから本当に骨折る者は、睡眠時間は二・三時間程度と言うこともある。周囲に誰一人居ないところでどん坐ると、禅堂での坐禅とはまた違った深い境地を得ることが出来るのである。この夜坐中にも直日が警策を担いで一人一人検単し、所在を確認し、坐禅の様子を見回る。
  また毎月二十九日は、大遠鉢で、その日は朝課後直ぐに特別献立で、白飯・味噌汁・沢庵が供され、腹一杯食べて、片道二十キロを走破しての托鉢がある。これは相当な重労働であるため、前晩の解定諷経後、直日は「明日は大遠鉢につき夜坐は禁ずる」告報する。しかしこういう告報があろうと、そんな忠告には目もくれず、ひたすら夜坐を組んだものである。真冬の身を切り様な寒風吹きすさぶ中、関山嶺の岩の上、眼下に村の家々と田圃が広がり、満天の降るような星を全身に浴びながら坐った。もう今となっては眺めることさえなくなってしまったが、三日月の尖った先が、刃物のように感ぜられ、心にぐさっと刺さった頃が、無性に懐かしくなる。大接心の前晩、解定告報で単頭和尚が読み上げる亀鑑の一節に、慈明引錘の話がある。慈明禅師は毎日夜坐に出るとき懐に錐をしのばせ、眠くなったらその錐で股を刺して睡魔を払ったと言われている。後年、この話を知った白隠禅師は、これこそ真の修行者だと感じ、慈明に習って志気奮発、昼も夜も寝ずに頑張ったと言われている。このように夜坐については、身を捨てて骨を折った結晶の数々が、今尚伝えられているのである。だから我々も古人先哲の努力を偲び、今一度勇気を奮い起こし、真剣に夜坐に励み、自己の真面目を手に入れて欲しいものである。


 
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