僧堂修行は毎日分刻みで行事が行われ、個人的なゆとりの時間など皆無である。皆目一杯で、必死の思いで過ごしている。だから他人のことなど知ったことではない。ところが能力には当然差があるわけで、身の回りのことに、つい疎かになる者もいる。特に新到で堂内生活の場合、殆どの者が生まれて初めての経験で、要領はすこぶる悪い。一々説明などないから怒鳴られっ放しで、朝から晩まで息つく暇もない。そういう新人を裏から支えるのが聖侍寮で、寮頭は僧堂で一番の古手の者がやる。僧堂生活十何年などと言う強者が何くれと無く面倒を見るのである。こういうところが僧堂の実に良いところで、下駄の鼻緒が切れそうになっていればこっそりすげ替えておく。また把針灸治は骨休めしたいばかりだから、洗濯物を盥に入れたまま置いたり、竿に干しっ放しにしたりと云うことがある。そんな時は代わりに洗濯してやったり、取り込んでおいてやったりと、まるで母親のようなことをする。また修行が行き詰まったときは解定後、東司掃除をしたりということもある。これらはすべて陰徳を積むことによって、自らの襟を正し、常に初心を忘れぬようにするためなのである。 |
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