第五十四回  饗応
 雲水にとって一番のご馳走はうどん供養である。特に大接心には必ず中日の斎座はうどん斎と決まっていた。みんな堂内を出るときから予め帯を緩めて、目一杯食べてやるぞ〜と言う意気込みで飯台座につく。うどん斎にかぎって、単の隔てなく、たとえ高単が食べ終わっていても、幾ら待たせようがかまわないという決まりがあるから、心おきなく腹一杯食べることができる。更にその上の饗応ともなると、盆と正月が一辺に来たような気持ちになる。
 饗応で忘れられないのは六月暑い盛りに、近隣の尼僧さん達が十数人集まって、僧堂の典座を使い、雲水のためにぼた餅の年、巻き寿司の年というぐあいに、毎年交互に供養して下さったことである。俗に馬が食うほどと言われるように、雲水の食いっぷりたるや、並ではない。
このチャンスを逃しては次にいつやって来るか分からないから、おもっきり食べる。端から見ていても頼もしい限りで、修行も一生懸命だが、食うときも一生懸命なのである。田舎僧堂では当時、近隣に沢山尼僧さんが居られて、開山忌や祠堂斎などで人手の要るときはいつも荷担して下さった。我々も一緒に貼案寮に入って、尼僧さん方のてきぱきと要領を得た仕事ぶりに、大いに勉強させられたものである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 さて饗応当日は早朝より続々と集まり、料理に取りかかるわけだが、小豆の煮る甘い香りがほのかに漂ってくると、腹がぐうぐう鳴った。早く時間が経たないものかと思ったり、まるで子供のようになる。いよいよ斎座、うどん斎同様単の上下無く、食べたいだけ食べられるのだから、意気込みが違うのだ。私は特にぼた餅が好きだったから、こんな嬉しい饗応はなかった。
しかし近年は尼僧さん方の高齢化、また遷化などでこの恒例行事も沙汰止みとなり、残念ながら楽しみが一つ減ってしまった。
 又饗応で思い出すのはカレーライスである。当時門前参道脇に僧堂の田圃があり、餅米を作っていた。山際の段々田圃で、機械などは何もないから専ら人海戦術だった。鋤で掘り起こし、平らにするのは牛の代わりに人間が四,五人大きな板に縄を括り付けて力任せに引っ張る。ある年のこといつものようにおもっきり縄を引っ張ったら、突然ぶっつり切れて、五人もろとも泥田圃に倒れた。頭から足の先まで泥まみれ、真っ黒くろ助に周りの者は大笑い。参道を挟んで向こう側にある方丈池に飛び込んで泥を拭った。この農作業の時は必ずスペシャルメニューで、カレーと決まっていた。カレー粉をメリケン粉で伸ばし、肉の代わりに蒟蒻を使った、コンニクカレーである。今から思えばたいしたものでもなかったが、いや〜旨いの何んのって、力仕事で腹が空いているから無我夢中で食べた。饗応はご馳走の中味もさることながら、頂くときの雰囲気が普段とまるで違って、食事をすると言うより、お祭り騒ぎが始まると言った感じで振る舞われるのが、何よりのご馳走だった。


 
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