第五十六回  どやし
 どやしという言葉は一体どこから出てきた言葉なのかよく分からないが、僧堂生活の表向きの行事とは違った、内密のもので、しかし何処の僧堂でも伝統的に行われているものである。やり方も僧堂の立地条件や伝統で違いがあるようだが、どやしは修行中の懐かしい思い出の一つである。
 私が入門したときは一辺に二十二人も大量に入ったので、良くも悪くも活気があった。人教が多いとお互いに競争心が湧いてきて、いろいろな面で競い合ったものである。そういう気分がこのどやしにも表れて、堂内では密かによく行われた。僧堂の周囲は鬱蒼とした深い山に囲まれたところだったから、場所に事欠くことはなかった。しかし秘密にやることなので場所も自然に決まっていて、龍王水辺か通称はげ山と言われた小高い山の天辺でやった。堂内員も十数人居たので、全員でというわけにもゆかず、直日単・単頭単とそれぞれ分かれ、お互い明かさず単別にやった。決行日も余程周囲の空気を見てやらないと、見つけられでもしたえらいことになる。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 まず解定後、典座さんが寝静まった頃合を計り抜き足差し足で、貼案寮のハソリを寵から持ち上げ二人で担ぐ。何せ僧堂の物はすべてがでかい、この役に当たった者は音を立てずに重いハソリを山奥まで運ぶので、えらいことになる。
一方別働隊はこちらも密かに山を下り、村に一軒しかない食料品店へ行きインスタントラーメン(当時発売間もない食品で、世の中にこんな美味いものがあるのかと目を丸くした)を始めいろいろ買い込む。柴を炊き薪をくべ湯がグラグラ煮え滾ったころ、全部放り込む。すぐ箸を突っ込んで我先に食べ出す。真っ暗闇で柴の燃える炎が唯一の明かりである。何を食べるかは口に入れてみなければ分からないという有様。さらに生存競争が激しいので、もたもたしたり遠慮していたら、たちまち人に食われてしまう。餓鬼の集まりみたいなもので、今から思っても何とも凄まじいものだった。酷寒の季節、薬石はシャビシャビの雑炊二杯では食べ盛りの若者にとって拷問に等しく、がつがつなんてもんじゃないのである。熱々の雑炊と焚き火の炎で、かじかんでいた手足が温まり、やがて全身に血液がぐるぐる巡ってくる実感は経験した者でなければ分からない。大人数の中にはすでに社会人経験者も居て、肝心の坐禅修行の方は余り真剣味はなかったが、こういう段取りになるとやたら手回しが良いのだ。
 数十年も経って当時のことを振り返ると、このどやしは何とも懐かしい思い出である。こういうことも山家の僧堂なればこそで、よく言えば万事大らかで、役位さんもそれなりに察していたのかもしれないが、大目に見ていてくれたのかもしれない。血気盛んな若者ばかりがひしめきあって、切磋琢磨しているのだから、少々羽目を外すこういう楽しみも、適当な潤滑油になっていたのだろう。


 
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