第五十七回  彼岸鉢
春秋のお彼岸には雲水にとって楽しみな大遠鉢がある。彼岸入りの前日に出立して彼岸明け翌日に帰山する九日間の遠鉢である。平生は僧堂の中に閉じ込められているから、下界の空気を吸えるだけでも、うきうきした気分になる。それが延々九日間にも及ぶわけだから嬉しくないはずがない。三人一組なので、人数の多いときは幾組にもなる。新到のときは在錫者三十数人と言う多さだったので、私の組は尾張知多組と言うところで、何と此処は三十数年ぶりに行く地域であった。大遠鉢中の宿は関係のお寺さんや信者さんの家に泊めて貰う。早朝より夕方まで一日中慣れないところを托鉢して回るので、若いとはいえ結構草臥れてくる。夕方あらかじめ依頼してある投宿場へ着いて、お湯の入った盥で冷え切った足を洗うと、一辺に疲れが吹っ飛びほっとする。と普通ならこうなるわけだが、尾張知多組は信者さんや関係寺院など殆どなく、引き手さんは、毎日その日の当宿場に随分苦労されていた。当時はその日に投宿場を依頼するという習慣だったので、今日は無事に布団にもぐって寝られるかな〜と心配しながらだった。現在では相当以前より依頼し、さらに依頼状を出して確認することになっているが、当時はそんな風だった。今から思えば随分迷惑な頼み方だったと反省させられるが、伝統に従えばそういうことなのである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 後年私が引き手で飛騨高山へ行ったとき、春の彼岸だったが、北国のことで朝からちらちら雪が舞っていた。夕方高山市内に入り、早速その日の投宿場を頼みに回った。ところが唯一当てにしていたお寺さんにあっさり断られ、野宿するしかないと覚悟した。引かれ手の二人を見ると何とも情けない顔をしている。此処は何が何でも頼み込まなければならないと思い、宗派を問わず片っ端から「たのみましょう〜!」と回った。しかしすべて断られ万事休す。そのうち何ケ寺目かも訳が分からなったとき、「どうぞお泊まり下さい」と言われ安堵の胸を撫で下ろした。山門まで来てどういう名前のお寺さんか振り返ったら、何と最初断られた寺だった。きっと哀れに感じられ、特別に泊めて下さったのだろう。着くと直ぐにお風呂に入り、体の芯まで冷え切っていたのがじ〜んと温まって、人の情けの有り難さを感じた。
「托鉢は他の慳貪を破り我慢を挫くの法」と言われている。托鉢を受ける側の人々には、貪る欲を捨てさせ、托鉢する側には我慢、つまり我が慢心を挫いて行く、最も良い方法だと言われている。最初に尾張地域へ出掛けた話をしたが、名古屋駅を降りて雑踏のコンコースを歩き出すと途端に、人が群がって買い物をしているキオスクを指して、「托鉢を始めろと!」と言われた。新到ほやほやで、まだ恥ずかしい盛りの若者だった私にとって、大声を張り上げて、「こんにちわ〜伊深正眼寺仏性の志を・・・・」は、当に我慢を挫く法以外の何物でもなかった。今にして思えば懐かしさ一杯である。


 
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