第六十回  正月支度
 十二月一日からの冬至大接心が終わると、直ぐに正月の諸支度にかかる。考えただけでもゾッとするほどやらなければならないことがある。まずは年末大掃除、山へ出掛けて竹を切り、すす払い用の長い竿を作り、天井を始め埃の溜まっていそうなところ、特に軒下などは必ず蜘蛛の巣が張っているので綺麗に取り除かなければならない。また典座は竈で薪を焚くからその度に灰が舞い上がり、太い小屋組の上は、下から見上げても真っ白に汚れている。そこまで上がって行くのも容易なことではないが、一人が太い柱にしがみつくと、下から雑巾を勢良いよく放り上げる。片手は柱にしがみつき片手でキャッチ。旨く命中すれば良いがこれがなかなか簡単ではない。雑巾を掴み取る方にばかり気がいって、しがみついてる手をちょっとでも緩めようなら、真っ逆さまに墜落という憂き目に遭う。小屋組全てを綺麗に拭き上げるまでには、上の者は黒ん坊の様に成る。年末酷寒の時期殆ど裸でこれをやるのだから、冬期の典座役はご苦労なことである。

『雲水日記』画:佐藤義英
発行:(財)禅文化研究所
 また山門前に巨大な門松を作る。門前の老人が指南役に来てくれるので助かるが、太い竹を三本先を尖らがして、格好良く揃えるだけでも容易な事ではない。笹や南天、千両など色添え良く見栄え良く作るのも大変で、これらも花屋さんへ行って買ってくるわけではない。山を駆けずり回って自力で探してこなくてはならない。素人がやるのだから悪戦苦闘する。
 また暮れの二十八日は餅搗きと決まっている。午前零時に起きる。典座さんが夜通し釜焚きをし、既に大釜の蒸し器から勢い良く湯気が吹き上げている。石臼が二つ土間に据えられ、傍らのバケツに杵が幾つも揃えられている。一臼に三人がかり、二臼だから同時に六人が勢いよく搗くと、重い石臼が踊り出すほどだ。搗く勢いが少しでも鈍ると背後に待ち構えている者が直ぐ取って代わる。血の気の多い者達がエネルギーを爆発させてやるからもの凄いことになる。待機している者も大声で囃し立てるので、まるで戦争状態に成り、うかうかしていると怪我をする。午前五時頃には全て終わり、最後の二臼には水を多めに入れて柔らかくし、ちぎっては餡こと大根下ろしの入っている飯器に放り込む。これを皆で食べるのだが、その旨いことと言ったらない。力を振り絞って搗き、ペコペコの五臓六腑に染み入るようだった。今でも当時のことが無性に懐かしく思い出される。
 僧堂は山の中にあるので底冷えも一段と厳しく、素足に板の間だからその冷たさも尋常の沙汰を超えている。足袋がはけたらどんなに良いかと思ったものである。素足に冷たい風が当たり、まるで正月過ぎのお供え餅のひび割れの様になる。そのほか副随はお節料理に大忙し、親切な先輩が絵入りで記録した料理の数々を、コマネズミのように動き回って作る。全てが終わり除夜の鐘を聞く頃は、もうクタクタで、元旦午前三時の祝聖と成るのである。


 
ZUIRYO.COM Copyright(c) 2005,Zuiryoji All Rights Reserved.