これは僧堂などで、開山さんの何百年忌や、祖師方の節目の法要に合わせて、記念のお授戒や報思接心が催され、それに荷担するというのがある。私も僧堂在錫中、幾度かこう言う荷担に出掛けたことがある。今年は臨済禅師の一千百五十年遠諱と白隠禅師の二百五十年遠諱が重なって、東福寺に全国の僧堂雲水が集まり報恩接心と法要が盛大に催された。こう言う節目の盛事に巡り会えるのは修行者としてこの上ない幸せなことである。普段はお目に掛かることのない他僧堂の雲水と隣りあわせに坐禅を組み、短期間とはいえ寝食を共にするのは得がたい経験である。お互い僧堂のメンツをかけて良い意味での競い合いをする。何処での大会だったか忘れたが、隣単の方から、お宅の僧堂さんは引き手さんと引かれ手さんとの関係が、実にビシッとしているんですね〜、と言われたことがある。こちらはごく当たり前のことをやっていただけなのだが、一口に僧堂修行と言っても、中味はいろいろなのだな〜と改めて思ったことがあった。また或る大会で接心も無事終わり、打ち上げの会も終わり、後は寝るだけと言うとき、たまたま海岸近くだったので、秘かに夕涼みを兼ねて浜辺へ散歩に出掛けた。皎々と月が照っていて、浜辺で地元の青年漁帥達が小舟に乗って網を張り魚を捕っていた。その船に同乗させて貰い、網を引く手伝いをした。何回かやっていると小魚が沢山捕れた。すると焚き火が始まり取れたての魚を焼いて酒盛りが始まった。薄暗いところなので、どういう人たちなのかもよく分からないが、大いに盛り上がった。まあ余り褒められた話ではないが、これなども図らずも経験したことで、今では懐かしい大会の想い出である。
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